福祿壽

福禄寿(ふくろくじゅ)

 福は幸福や幸い、

 禄は官吏(かんり)の俸給や俸給、扶持のこと。

 壽は「いのち」の長いことで、一般に慶事に用いるとよい。

 

これは、七福神の一つで。

 短身、長頭で 経巻を結びつけた杖をたずさえ、何時も鶴を従えている。

 

 今年も「もう少し寝るとお正月」

 私も、色々ありました。

   みんな「チョウケシ」したい事の方が多いように思えます。

 中には、何時までも皆の心にと願う事もあります。

 

仏の心

弟子に、

車を運転するときには「仏様のこころ」と口に出して

心を落ち着けて、穏やかな運転をしなさいと

「老いては子に従い」

自分では、身体的に老いは感じていますが、

頭はまだまだ、未完成で

突発的な イライラ行動をしてしまいます。

心も何かに「こだわり」がんじがらめに、もつれた心が

ほどきたくとも、ささいな意地をはり

周囲を許す

寛大な心を失っては

また イライラ

漢字の「仏」を日本では、「ほとけ」と読みます。

私のこころも、ほどき

楽に生きようよと、弟子に悟されたようです。

 

落ち葉ちる

落ち葉もみじ

 

 落ち葉が真っ赤に、絨毯のように綺麗に敷き詰められたようです。

 

亡き母が、この落ち葉を楽しみにしていましたが、

 

わたくしは、落ち葉が、枯れると土について取れなくなり掃除が大変で

 

すぐに、掃除をしては、母と喧嘩していたなー

 

と思いながら、今は何も言わない、母を思いながら、落ち葉と奮闘しています。

まいいか

道元さんは、

    「不立文字」

これは、色々な考え方が出来ます。

日本には多くの方が、書物を今に残しています。

その中で、道元さんも多く私達に書き残しています。

多く書いた後に、「不立文字」と云われています。

始めから、文字では有りませんではなく、

多く書かれていながら、

 文字では、「言い表せません」と示しているのかも知れません。

 

する前に、学問をしないままに、文字では?

 まず、行うことの大切さを伝えて、

      文字では、心の移り変わりにはとうていついてはいけません。

今、受験で励んでいる方々が多くいることでしょう。

 合否ではなく、「今、頑張っているね」と応援しています。

 

 「禅のこころ」は、その緊張したなかでの、こころの深呼吸なのかも知れません。

   私は、頑張った後に「まいいか」と自分に云う事にしています。

皆さんも、色々と頑張っているんですね。

曝涼(ばくりょう)虫干し

私の地方では、今年の彼岸花は彼岸季節には?

少しずれて、咲きました。

山の紅葉も、毎年綺麗ですが、今年は「落葉?」が多く思います。

 

しかし、清々しい秋の乾いた風の季節がやっと来たように思います。

 

今年の秋は「梅雨季節」のようでした。

各地の雨・風の被災された方々は、泥出しや家財等の整理大変な事と思います。

私の地区も、数十年の繰り返しで、豪雨の被害に有っています。

最近は、5年前でした。

 水に浸かった。畳や衣類等、もったいないとしまっていた物が、全部ゴミに

 

 しかし、その中でしまい忘れた、物が見つかる事もあります。

 

昔の日本の人は、「曝涼(ばくりょう)」として、

天日に出して、「虫干し」をしたようです。

これは、風を通すだけで無く、

周囲の人に、「目通す」見て確認する、大切な行事として、行いました。

 

 心も、曝涼して「風通し、目通し」して助けあえれば良いですね。

山口市の田舎寺に萩の花が沢山有る、寺があります。

立ち寄ってみると、花だらけ

 ふと 良寬さまの詩を思いだし

      この寺の方丈もこんな気持ちかな。

 

 

「秋萩の花咲くころは来て来て見ませ命またくば共にかざさむ」

 

 

    秋萩が咲く頃に成ったらまた来て下さい。

    私がその時もまだ命につつが無かったら、

    一緒に萩の枝をかざして遊ぶとしましょう。

 

   寒くなると、それもまた良いものと良寬さんは

お彼岸

 以前 インドで「彼岸花」の群生地で真っ白な華に出会いました。

 

 インドでは

  「大地から、緑色の茎が出て、

    天から、燃える幸せの花が舞い降りてきて、緑の茎に

      乗っかかると云われる」と聞きました。

  優しいインドの人の思い、心に染みました。

 

  そして花を見ると、緑の茎が、 

    燃えるような花を戴いているよう見えます。

 

  季節を感じて、彼岸時期になると必ず田んぼの土手に

  山のすそのにお彼岸が来ましたよと知らせるような花

  赤色・白色・黄色と色々有るそうです。