最近のテレビ番組は吉本興業のお笑い芸人がですぎです。

最近の笑いに疑問を感じているのは、私だけでしょうか?

「喜劇と悲劇」とゆう月刊誌を愛読してました。

今のお笑いの方々は、笑いの基本を忘れて

変な顔、行動、他人を攻撃 等々で笑いを作り無理しているようです。

 

笑うという行為は、もっともっと深いところに在るものと思います。

古典落語の基本を身につけてしっかり学んで頂きたいと思います。

他の事より、私の宗教者にもいえることかも知れません。

目の前の見えているものをこなす人に成るより

何もいえず蹲っている人によりそえる僧侶で在りたいものです。

周囲をたたく前に、自分を見つめる日々としたいものです。

「何もない」事がつまらない、何も出来ないからと不満がいえる人々?

 

何事も無いことが、いかに幸せであることを思い知ることになりますぞ。

 

何もないことを『無事』(ぶじ)といいます。

 

多数の癌摘出手術で、何とか生かされている私にとって無事は幸せです。

 

ぐちる  まえに いのちの大切さを  自分に聞いてみて下さいね。

 

私も  しながら日々を進めます。

 

みなさに無事なる時がくりかえされますよう。祈り 

総ての細胞は生き進む

 

大変な時代になりました。

 

私の知人も「新型コロナ」の犠牲となり、早く次の世にお引っ越しをして行きました。

4月12日の 会議をどうするかと思案していましたのに?

2月7日の理事会では、元気で沢山の経験で私達を指導下さった。

誰にも優しく親切な方でした。

しかし、新型コロナには、感染して入院されましたが、残念でした。

仲の良い奥様も新型コロナで後を追うように行かれてしまいました。

 

ウイルスも「どうも こうも」としながら、生きようとしているのでしょう?

 

私のような、無知は 体力作りと生活環境整備しかなく

掃除は大好きですから、毎日 庭掃除しています。

「掃除は自分の心を綺麗にするもの」教えられています。

自己を控えて、「お先にどうぞ」とゆずると掃除も楽です。

蛙さんにも 蛇さんにも モグラさんに 対しても

少し愚痴らなくている 自分を感じています。

ぼちぼち 進めましょうね 

降誕会

今日は、お釈迦様のご誕生日です。

 

今朝の朝のクイズで、林 修 先生が良い解説を下さいました。

 

 天上天我唯我独尊

 

 この訳を「私が唯一尊い」と釈迦は自身を言った?

 

 そうでは無く、すべての物体は、その物が周囲と比べる事の出来なく尊い

 

そうです、シッダルダーがブッダ(悟りえたもの)と言われるのは、ここでしょう

 恩師の中村 元 先生は、釈尊の教えは「平たく平等であれ」です。と説かれます。

 

あるがままで、良いとなると 

 新型コロナの感染もあるがままで

  報道では、やもすると感染者があたかも悪いようにとも思える?

     これは病気です。

私も癌と戦っています、ほかの病と闘っている人々もいた事を

自宅待機で考えて見る時間では無いでしょうか

 

 待機しているとき、休んでいるのでは無く

 自己を見つめてみましょう

   しっかり回るコマは、頭を振らずに、天からの糸にぶら下がっているように

    ピッタリ ぐらつかず しかし全速で回るコマなのです。

今はぐらつかず 他を観察しないで、自分の命の尊さを

 

 

 

 

 

祷る 念じる

世界が大変な事になっています。

 

生物は、幾度もこのような試練の中を通過して今が有るのかも知れません。

 

「九字傳授」の中には、

「身を護るの大秘法にして軽視の事にあらず、其法は先毎朝

 手を洗い口を漱ぎ、北に向かいて濁気を吐き東方にむかい口を少しく開きて

 生気を吸い飲み込む事みたび、・・・・心正直潔白にして天道を恐れ

 人道にそむかず、己の家業を大切にして正眞にこの法を修する者は・・・・

 悪事災厄を免れ安穏に身を護るべし、信ずべし慎むべし」

 

古い護身法のものですが、現代にも通じます。

 

 皆様も 目をあらい 鼻をあらい 口をすすぎ 深呼吸をして

 

 いまある いのち ありがたし かぎりある いのち なおありがたし

                       法句経より 中村 元 訳

お互いが、不振にならず、共に念じあいましょうね

古き家 自在にかわる まどりなり

客来たれるは 客間ともなり

 

日本の古い家屋は、間きり少なく 

 

布団を敷いて 寝室となり

まあるい座卓を出せば 食堂となり

その座卓も丸いが故に 転がして出し入れやすい作り

 

母屋と家畜の住む二つの家で有り合理的であったと思います。

 

井戸をかこみて、食事を作り、洗濯をし 井戸端会議と

共同体の生活は、今は消えてしまい

テレビが中心で「何でもテレビ」

おかしくも無いのに、かげで「ここで笑うのです」と言わんばかりに

笑う音がでる

朝から晩まで同じ事を繰り返し「愚痴る」

これが良いから?

今買わないとの喧伝で、家の中は物あまりで「ゴミ屋敷」

こころの整理、整頓が出来る時間は

いつの事でしょうか?

気が付くと私も愚痴してます。

深呼吸でもして おやすみなさい

久々に底冷えして来る 夜です 

もうすぐで1月も終わりです

何だか分かりませんが、ウイルスの報道でどうすればと悩んでいます。

中国の皆さんは大変でしょうね。

それにかかわって始めて知ることもあると思います。

そして関わるとその不安は、人には言えない、不安の日々が

繰り返し思い出すのも、当事者です。

少しでも、人や動物から避けてとは思いますが、限度が有ります。

月末に久保先生の診察で、どう出るか?

月初めは、大学病院で診察?

結果がわかるまで不安です。不安なら行かなければ良い?

そうは、マァーぼちぼち 進みます。

 

 むかし落語で

   診察受けたら、

    ドクターから「原因は、カロウです」と言われた。

       この病院は、古い診察を? 江戸

    カロウは、殿様の家来ですよね。

    家老は

     過労は違うのに

冗談が言える打ちに、ゆっくりと頑張ります。

 

皆さんもね

今年最後のブツブツ

人は何かにつけて、区切りを付けてゆく。

「消費しなさい」とマスコミはいいまくる。

消費する事で、企業は潤うが、買う方の心はいやされることはない。

 

けんやくをする事が、癒やしになることもある。

良寬は豊かな心を持ち、子供と遊んだことになっている。

我が町にも、

怪しい歴史家が

都合の良い歴史を語り、

歴史は本来から離れて語り続けて行くのかも知れない。

 

埋もれた、素晴らしい人々は語らずして

じっと見つめている。

 

人間的な「良信」「恩義」「感謝」等々を失った人間は

動物より下劣で、愚かな事を平気でする。

何処かで、この恥知らずを整理して行かなければ日本は駄目になる。

私にはその力無く、黙っているしかない。